学会賞記念講演・奨励賞受賞スピーチ

第16回日本文化人類学会賞

日本文化人類学会は、第16回日本文化人類学会賞を春日直樹氏に授与することとした。

 

(授賞対象業績)

オセアニアに基点をおいた、ポストモダンおよびポストコロニアル人類学から存在論的転回にいたる批判的人類学

 

(授賞理由)

 春日直樹氏は、オセアニアにおける人類学的研究に基点をおきつつ、ポストモダン人類学から存在論的転回にいたる理論的研究において先導的役割を果たしてきた。

 春日氏は、単著として『経済人類学の危機―現代社会の「生存」をふりかえって』(1988年)、『太宰治を文化人類学者が読む―アレゴリーとしての文化』(1998年)、『太平洋のラスプーチン―ヴィチ・カンバニ運動の歴史人類学』(2001年)、『ミステリイは誘う』(2003年)、『なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのか?』(2005年)、『「遅れ」の思考―ポスト近代を生きる』(2007年)を著した。『太平洋のラスプーチン―ヴィチ・カンバニ運動の歴史人類学』はサントリー学芸賞を受賞し、その選評では「十年に一度の労作」と讃えられるなど、非常に高く評価されている。

 また共著を含む編著には、『オセアニア・オリエンタリズム』(1999年)、『オセアニア・ポストコロニアル』(2002年)、『貨幣と資源』(2007年)、『人類学で世界をみる―医療・生活・政治・経済』(2008年)、『現実批判の人類学―新世代のエスノグラフィへ』(2011年)、『科学と文化をつなぐ―アナロジーという思考様式』(2016年)、『文化人類学のエッセンス―世界をみる/変える』(共編、2021年)があり、自らがフィールドとするオセアニアの研究者にとどまらず、広く地域を越えた人類学者との論集を編み、人類学を現実世界と果敢に接続しようと試みる一方、人類学のみならず人文諸科学とも共同研究をすすめ、広い学問分野に人類学の存在感を示してきた。

 春日氏はマーカスとクリフォード共編の『文化を書く』(1996年)を翻訳するなど、ポストモダン人類学やポストコロニアル人類学の第一人者であるが、その一方で著書『太平洋のラスプーチン』の中でも述べているように「ポストモダンの極論にも啓蒙主義的なナイーヴさにも染まることなく、喚起力に溢れた」人類学を紡ぎだそうと格闘してきた。また、市場原理と自己規律化が支配する現代において、人々が感じる「遅れ」の感覚を取りあげたり、動物実験・ゲノム科学・生物科学・老人ホームといった、これまで人類学が十分に扱ってこなかった領域を開拓したりするなど、人類学の新たな可能性を模索し続けてきた。ポストモダン人類学から存在論的転回にいたる最先端の理論に対して批判的な検討を進める一方、理論から適切な距離を取り、堅実なフィールドワークに裏付けられた論拠を展開する姿勢は一貫しており、高い学問的水準を有している。

 また、多くの共同研究を組織し、最先端の理論に対峙する知的な姿勢を後進に伝えるなど、若手研究者の育成を積極的に進めてきた他、国際的なオープンアクセス・ジャーナルNatureCultureを創設し、内外の研究者と共に国際的な議論の場を育ててきた。春日氏の文化人類学に対する貢献は極めて大きい。

 以上の貢献を高く評価し、春日氏に第16回日本文化人類学会賞を授与する。

受賞記念講演

第16回日本文化人類学奨励賞

受賞者:金子亜美会員

(授賞対象論文)

キリスト教化と言語 ―南米チキトス地方のイエズス会布教区におけるジェンダー指標の用法から 

(授賞理由)

 本論文は、ボリビア東部のチキトス地方におけるキリスト教典礼を題材に、先住民言語のメタ語用論的分析をすることで、過去と現在の典礼におけるジェンダー間の社会的文脈がいかに変容したかを考察した優れた論考である。典礼で使われる先住民言語には、話者のジェンダーに依る男性変種と女性変種が存在する。著者は17〜18世紀に宣教師が記した文法書の分析から、宣教師がジェンダー変種を神を区別する能力の有無を示す指標と見做し、男性変種のみを典礼の言語としていたことを解明した。次に、民族誌的調査で得られた知見から、現在はジェンダー変種の用法が変容し、神の前におけるジェンダーの平等な関係性が創出されていることを明らかにした。歴史史料の丹念な分析と現在の民族誌的記述を連続線上に置くことで、ジェンダー変種の使用をめぐる変容が、社会的文脈の変容をいかに創出するかを説得的に論じている。

 従来の南米の先住民に関する研究においては、人々が描くキリスト教世界に隠された先住民的思考の解明のために、語りや行為を意味論的に分析するものがほとんどであった。これに対して本論は、言語人類学の理論的視座を導入し、キリスト教化後におきた先住民社会の変容の解明に果敢に挑戦している。本論で用いた手法が他の言語・地域でも適用可能であるかは検討の余地があるが、本研究は、外部からもたらされた実践や解釈が、いかに社会の細部に定着し変容していくかという普遍的な課題に対して、重要な理論的貢献をしている。

 以上の理由により、本論文を高く評価し、金子亜美氏に第16回日本文化人類学会奨励賞を授与する。

 


受賞者:近藤有希子会員

(授賞対象論文)

悲しみの配置と痛みの感知―ルワンダの国家が規定するシティズンシップと人びとのモラリティ 

(授賞理由)

 本論文は、虐殺後のルワンダで行われている和解と統合の活動に参加する人々の多岐にわたる経験に注目し、公的に承認される被害者ではなく、善悪に二分できない「灰色の領域」に位置する人々の行為や沈黙が、いかなる倫理的な応答をひらくかを探求する論考である。対話集会の開催や虐殺生存者基金による援助は、紛争によって分断された人々を等しくルワンダ人として包摂しようとする筈のものであったが、一方で、トゥチだけを「真正な生存者」として認定し、フトゥを加害者として位置づけるものでもあった。著者は、対話による真実の追求がかえって断絶を生み出し、共同体の再生につながらないと批判しつつ、断絶を生み出す公的な場での語りと、「灰色の領域」の人々の声・表情・疼き・沈黙・援助の辞退などの行為との隙間を丹念に埋めていく。豊富な事例を示しながら、公的に承認されない「灰色の領域」の人々の苦しみが、他の人々にひらかれ、自他の根本的な「弱さ」を通して共生していく可能性を説得的に論じている。

 シティズンシップの構築が目指される公的な場において、公的に承認されない人々の経験がどこまで共有されるかが不明であるなど議論の展開に不十分な点はあるが、ルワンダの虐殺に関する多くの先行研究を踏まえつつ、民族誌的調査で得られた成果を基に、対話による断絶を乗り越える糸口を示したことは高く評価できる。また他の国や地域における紛争後の和解と統合に関する応用研究の可能性も期待される。

 以上の理由により、本論文を高く評価し、近藤有希子氏に第16回日本文化人類学会奨励賞を授与する。